B型肝炎訴訟の歴史

B型肝炎訴訟の歴史

最初のB型肝炎訴訟

最初のB型肝炎訴訟 B型肝炎訴訟は乳幼児の集団予防接種に於ける注射針や注射筒の使い回しによってB型肝炎に感染したとして、1989年に札幌市の5人のB型肝炎感染者が札幌地裁に国家賠償を求めて提訴したのが始まりです。
肝炎訴訟に於いてはC型肝炎訴訟が「薬害肝炎訴訟」として2002年に集団訴訟が起こされB型肝炎訴訟に先駆けて2008年に「薬害肝炎救済法」が成立しましたが、最初のB型肝炎訴訟はその13年前に提訴されていた訳です。

B型肝炎訴訟の5人の原告が提訴 B型肝炎訴訟の5人の原告が提訴した最も大きな理由は、1953年に世界保健機関(WHO)が集団予防接種の注射針や注射筒の使い回しがB型肝炎ウイルス感染の危険があることを警告したにも関わらず、国が有効な対策を打たなかったことにあります。国は1950年と1958年に注射針や注射筒を1人1本にするよう告示していますが、地方自治体への具体的な指導には踏み込みませんでした。つまり、国の不作為は明らかですし、場合によっては感染する可能性が有ることを知っていた訳ですから未必の故意とも言えます。

1987年にWHOが再び警告 そして、1987年にWHOが再び警告した次の年に、国は注射針や注射筒の使い回しを止めています。しかし、その間の30年間以上に渡って、集団予防接種の注射器や注射筒の使い回しが行われ多くの人がB型肝炎ウイルスに感染しました。この様な5人の原告の主張が最高裁判所で認められたのは2006年6月でした。つまり、5人の原告が札幌地裁に提訴してから17年の歳月を要しています。

集団訴訟

集団訴訟 2006年の最高裁判決を受けて原告らは国に対して全てのB型肝炎患者に対する医療費助成と厚生労働大臣の謝罪を求めましたが、国の主張は「最高裁判決は原告の5人に限定される」という驚くべき返答でした。

2008年に成立した「薬害肝炎救済法」(C型肝炎) 更に、2008年に成立した「薬害肝炎救済法」(C型肝炎)にB型肝炎が含まれなかったことから、新たに札幌や福岡などの10地裁に702人が集団提訴し、その後、2010年5月に原告と国の間に和解が成立しました。
そして、2011年6月に国と原告の間で「基本合意書」が締結され、2012年1月13日から「特定B型肝炎ウイルス感染者給付金等の支給に関する特別措置法」が施行され、裁判上の和解等が成立した場合に給付金等が支給される体制が整いました。従って、最初の訴訟から23年の長い年月を経て被害者が救済される道筋が整ったと言えます。何かと批判の多い菅直人民主党政権でしたが、「薬害エイズ事件」を解決したのも当時の菅直人厚生大臣でした。この様な良い政策を行ったことも忘れてはなりません。